ハチコのしくじりポイント:息子が壊れた意味と再生への一歩
塾を辞めることを伝えるために準備したことは?
心療内科を受診した翌日、「塾を辞めること」を息子にどうやって伝えようかとオットと話し合いました。
息子の機嫌のよい時を見計らい、できるだけ深刻な雰囲気にならないように話そうと考えていましたが、
医師から言われた「勉強をしている自分しか愛していないと思っている」という指摘を意識して、以下のようなメモ(原文ママ)も用意したのです。
半年間やってみて宿題の量が多すぎると思っている
もう少しのんびりと過ごしたい
自分のペースで勉強できるようにしたい
これがママとパパの願い
勉強が疲れるようなら、元気に遊んでいる○○(息子)の方が好き、そうしてほしい
勉強は塾という手段じゃなくてもいくらでもできる
もし行きたくなったら塾は5年生からでも6年生からでもいい
べつに○○(通っている中学受験塾)じゃなくてもいい
この塾を選んだのは、その塾がいいからと思ったのではなく、土日がお休みという理由だけ
塾を休んだり、行かないことは、学校を休むこととは全然違う
学校は義務教育でみんなが通っているところだけど、塾はこちらで選んでお金を払って行っているお店やさん
○○(息子)はお客さん
だから休んだり、また行ったりも○○(息子)の自由だよ
休んで戻るのが恥ずかしかったら、また別の塾に行ってもいいし、行かなくてもいいと思う
とりあえず、ゆっくり思いきり休むために今の塾はいったん辞めようね
息子が、さぼるために塾を辞めるのでもないし、塾をやめることはたいしたことではないんだよ、ということがよく伝わるように…
「これなら大丈夫」と。
ただ、日曜日の息子は、夏休みに入ったにもかかわら浮かない様子で、なかなか話すチャンスがありませんでした。
さらに夕方から夜にかけては、息子の方から「塾を休むのはいやだ!」「塾をやめたくない!」と言ってきて、情緒不安定気味。
そのため、この日に話すのは見送り、次の日に延期しました。
早く伝えて、スッキリとリスタートさせたい。心から休ませてあげたい。
正直、私は焦っていました。
3回目のXデー:誤算と困惑…息子の大狂乱
2014年7月21日(月曜日)
朝からずっと息子の機嫌のいい時間を狙って、昼ごろに塾を辞める話を切り出しました。
メモで用意したとおりの話をして、とにかくたいしたことではないから塾を辞めることを伝えていったのです。
息子は最初は黙って話を聞いていましたが、塾を辞めることを一緒に通っている友達に伝えなくてはいけないことを話した途端に豹変します。
メモにも書きましたが、叫びながら暴れ続ける息子の姿は、もう想定内の情景ではありませんでした。
子どものことを「壊れた」なんて表現するのはどうなのか?と思われる方も、不快に思う方もいるかもしれませんが、育児メモにも書いてあるとおり、現実のこととは思えない光景で、まるでドラマや映画を見ているのかと思いました。
やさしくておとなしかった息子が、もう手もつけられないほどに発狂している…
声を掛けても、抱きしめようとしても、息子の発狂状態を沈めることはできず、ただただ私はそばで逃げないで見ているのがせいいっぱいでした。
「どうしてこんなことになってしまったのだろう」
「もうおしまいだ」
「普通の生活を送るなんて夢みたいなことを考えてはいけないのだ」
絶望の中で、いままで抱いていた「すぐに元通りになるかもしれない」という淡い期待を全て捨てて、この現実と向き合う覚悟みたいなものが生まれたのも事実です。
この日を境に、息子の状態はさらに悪化
息子の状態は、この日を境に急速に悪化していきます。
<体調の変化>
頭痛:パニック、イライラ、勉強に関わることをする時など
吐き気:不定期、外出先でも起こる
嗅覚過敏:外出時に多い
視覚過敏:外出時に多い
車酔い:幼少期から車に酔ったことがないが、すぐに気持ち悪くなる
食欲不振:パニックやイライラの前後はほとんど食べられない
寝付きが悪い・不眠:夢でうなされたり、寝言で叫んだりすることが増える
手足の発汗:日常的
体中に湿疹ができる
歯が痛むことがある
<行動の変化>
パニックを起こしやすい
頻繁にイライラや癇癪を起こす
蹴る、叩くなどの暴力をふるう
思考力や記憶力の低下
決断力の低下
<生活の中での困りごと>
学校への行き渋り:朝起きられない・イライラする
勉強に対する拒絶反応:頭痛、あくび、イライラにつながる
退行:今までできていたことがなにもできなくなる
歯ブラシをしない
お風呂に入らない
寝る時間を守れない
聞き分けがまったくなくなる
症状についての話などをいっさい聞かなくなる
いままで、幼稚園も小学校も皆勤賞で身体が丈夫だった息子。
どんどん新しく出てくる悪い変化に対処していくだけでも、本当に大変です。
親としては、とにかく思いつくままに一つ一つ対処していくしかないわけですが、自分自身も普通の精神状態ではない中で、たくさんのことをこなしていかなくてはいけないのは、苦しくて辛くて、泣いてばかりの日々でした。
でも、誰がここまで息子を追い詰めたのか。
息子がSOSを出してから、急性期にいたるまでの経緯を書いていく中で、毒親であった自分自身の振るまいや言動に、あらためて背筋がこおる思いがしています。
その後、ハチコと息子が歩んできた日々については、またこれからもライフワークとして書き続けていくつもりです。