【壊れはじめた子どもの言動とは?】うつ病・PTSDの急性期へ① 

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ハチコの「しくじり」ポイント:対処の遅れが回復を困難に


この時点で、息子に見られた主な症状は以下のとおりです。

・ささいなことですぐにキレる
・イライラして何も手に付かなくなる
・無気力でだるそうにする
・自分の感情が抑えきれずに癇癪を起こしたりパニックに陥る
・今までできていた塾の勉強やピアノなどが、ほとんどできなくなる

心の病気へと重症化しないためにサインを出していた初期段階は過ぎ、うつ病とPTSDの急性期に突入してしまったことが、息子の状態からよくわかります。
特にうつ病は、本人に自覚がない場合には、できるだけ早く周囲が気が付いて休養や治療をすることが望ましく、症状が進んでしまえばしまうほど回復が困難になると言われています。

私自身はこの日、確実に息子の大きな異変を把握していたにもかかわらず、このあとも、なんとか通常の生活を続けさせようと努力してしまいます。
そのことが、息子をさらに深刻な状況に陥れてしまうことになるのです。

近年、心の病気を発症する子どもの数は増え続けています。
けっして「対岸の火事」と決めつけずに、子どもの異変に気が付いた時には、「もしかしたら?」と気にかけて迅速に対処してあげることが必要なのですね。

SOSを見逃し続ければ、必ずツケがまわる

「子育て日記」をさかのぼっていくと、息子と私は、ことあるごとに言い争いをしていて、それがだんだんとエスカレートしていたのがわかります。

そして、息子は、私の計画したスケジュールどおりに、ピアノや勉強のノルマをこなせないことが徐々に増えていき、そのことを「ママのせいでできない!」と言ってきたり、怒り出したり、イライラすることが増えていました。

毒親だった私は、こうした息子の小さなSOSには気付くことができず、それどころか、「どうして言うとおりにできないのだろう」「なんでこんなにいろいろやってあげているのに、親に対してひどいことを言うのだろう」と怒りを感じていて、コントーロールや叱責がさらにエスカレートしていました。

そんな中で、とうとうはっきりと「息子が壊れた」と自覚する日を迎えてしまいます。

パニックのようにキレて何もできない状態


9年ほど経った今でもはっきりと覚えています。初めて「息子が壊れてしまった日」のことを。

当時の私は、「子育て日記」をパソコンのExcel(エクセル)を使って書いていたのですが、日記の枠全体が真っ赤に塗られている日が、6月に1箇所、7月に2箇所あります。ペイントしたのは少し後になってからだとは思いますが、その真っ赤なペイントこそが、「息子が壊れた(と私が認識した)日」の目印です。

最初に赤く塗られた日。「子育て日記」には、こんなふうに記されています。

2014年6月28日(土曜日)

大事件が発生。
○○(息子)に勉強やピアノなどノルマを伝えると、パニックのような癇癪(かんしゃく)を起こして、どうにもできない状況になる。
ゲームで休んだり、漫画を読んだり、なだめたりしてもまったく回復せず、そのまま無気力になったり、キレたりを繰り返す。

(中略)

結局、1日何もできなかった。
ここまでできないのは初めて。
ここまでおかしくなるのも初めて。
少しずつおかしくなっていると思っていたけど、その傾向がとうとうはっきりと顕著になってしまった。
まるで発作みたいだ。
どうしよう。
なんとかしないと本当に大変なことになる。具合も悪そう。


物を投げたり、泣きじゃくったりしながら暴れたかと思えば、何もせずにぐったりと寝転んでいたり。
今までなんとかエネルギー切れスレスレで頑張ってきた息子は、まさに「壊れた」としか表現できないような状態になりました。

今までに見たことのない息子の様子を見て、私自身は「尋常ではないことが起きた。どうしよう」とは感じていましたたが、この時はまだ、事の重大さを理解しきれていなかったようです。

たぶん、息子のことを本当に心配するというよりは、「大事(おおごと)にならないうちに、なんとか元に戻さなくちゃ」という気持ちが強く、なんとか息子をなだめて落ち着かせなくちゃと、食べ物や娯楽でごまかそうと一生懸命でした。

とにかく、まわりに知られないようにしながら、なんとか対処しなくては…
ものすごく動揺しながらも、これまでどおりの生活をなんとか続けようとしていく、不安な日々が続きます。

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