【教育虐待は心と身体を破壊する?】子どもがうつ病・PTSDになるまでのサイン①

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ハチコの「しくじり」ポイント:「自己肯定感」をつぶすコントール育児

人の自己肯定感は、幼少期に親からどのように育てられたかで決まると言われています。

そのため、チャイルドコーチングにおいて、子どもに「できない」「ダメ」といった否定的な単語を使うことは避けるべきであり、もしも普段から否定的な表現を多く使っていると感じているのであれば、その言葉を飲み込み、なるべくポジティブな表現に意識的に置き換えることが大切です。

ただし、このことは親であれば誰もが頭ではわかっていることですよね。
毒親であった私でさえも、「もっと違う言葉で接することはできないのか」と常に感じていました。
そして、私の場合は、息子が完全に壊れてしまうまで、どうしても日々の感情に流されて、否定的な表現をやめることはできませんでした。

でも安心してください。
時間はかかりますが、自己肯定感は子どもが大きくなってからも、大人になってからでも培うことが可能です。
「子どもに優しい言葉をかけられていない」と思いあたる方は、今日からやる!でも、けっして遅くはないのです。

「おとなしい子」の育児は要注意

息子は小さい頃から、どちらかと言えば「おとなしい」タイプの男の子でした。

歩けるようになってからも、あちこちにウロチョロしたり、やんちゃで手が付けられないということもなかったので、親族からも、ママ友からも、よく「育てやすくていいね」とか「羨ましい」と言われることが多かったです。

私からしてみれば、息子は典型的な「内弁慶」で、家では、ほかのお子さんと同じようにいたずらをしたり、ふざけてはしゃいだりしていましたし、笑い転げていたり、泣き叫ぶこともあって、ごくごく普通の手がかかる子だと思っていましたが。

ただ、たしかに息子が言われたことをあまり文句を言わずやっていたり、すこし強く言えばこらの思い通りに行動してくれる方だったと思います。

また、物を投げたり、暴力的だったりということもなく、人に対してもちゃんと「ありがとう」と言える子だったので、「○○はやさしくていい子だね」と褒めていました。

(息子が「おとなしい子」だったことは、私が「毒親」になっていったことにも大きく影響していたのですが、そちらについての詳しいことはまたあらためて書きますね。)

息子に反省文を書かせる毒親なんている?

息子は、まわりの子どもたちと比べて、積極的にお友達と関わることがなかったので、私は0歳頃から必死にたくさんの人たちとの交流を持つ場に参加していました。ベビーマッサージ、自治体の母親教室、保育園の園庭開放、マンション内の幼児教室などです。

そして、コミュニケーション能力だけではなく、運動神経もあまりよくないことを補えるようにと、いわゆる知育にはものすごく力を入れていました。

特技を作る目的で、4歳からピアノ教室にも通わせました。

勉強もピアノも、私が思うようにできなければ叱り、思い通りにやれば褒める。

母親である私自身が息子のスケジュールを決めて、しっかりとやらせる。

そんなふうに、ずっと息子をコントロールしてきたのです。

小学校に上がり、息子は少しずつ、反発することが増えて、勉強やピアノをさぼりたがることが増えていきました。

そして、小さい嘘をつくことがとても多くなり、私はそれに余計イライラしていました。

まだ10歳にもならない子どもに向かって、大人の正論でキツく責めたり、問い詰めたりしていたのです。

「どうしてやることをやらないのか」「やってから遊ぶということができないのか」

ひどい時には、息子に反省文を書かせていました。

例えばこんな感じです。

「お母さんの言ったこと→やることをやる時とそうでない時とちゃんと仕分けをする事」

「それに対してどう思ったか→ちゃんとやる事をやる時はやることに集中して他の事を気にしないようにど力(努力)しようと思った。」

同じようなメモはいくつも残っています。

(勉強をさぼった理由を書けと言われて)「ついあそびたくなってしまうから。これから気をつけようと思う事→これからはあそぶときと勉強する時とちゃんとけじめをつけて生活するようにする」

いずれも息子がうつ病を発する1年前ごろ、3年生の時のものです。

なぜできなかったのか、どうしてサボるのかを聞いて、責めて、その理由を書かせて反省することを繰り返していました。

反省文を書かせたら、それで「仲直りしたね」「もうちゃんとわかったね」と息子と話して、また日常に戻り、親子間で解決させたつもりになっていたのです。

反抗期だと都合よく解釈していた息子のSOSとは?

小学校の宿題のほかに、「100マス計算」や「こどもチャレンジ」などの通信教育、「ドリル」などやらせることが増えるにつれて、さらに息子は泣いたり、拒否したりすることが増えました。

それでも、私は「あ、これが反抗期なのね」と思っていた程度で、息子にとって辛いことをさせているとは、考えてもみなかったです。

息子は「勉強きらいなの?」と聞けば「勉強が好き」、「ピアノの練習しないならやめなさい」というと「ピアノが好き。がんばりたい」と答えていて、私はそれを鵜呑みにしていました。

そして、「外で体を動かして遊ぶよりも、家の中で勉強している方がこの子には合っている」「勉強が好きなんだ」と考え、当然のように、ずいぶんと早い段階から中学受験へ向けた準備を始めていたのです。

強く言えばなんとか言い聞かせられる。

とにかく頑張って勉強をさせて能力をのばそう。

そんなことばかり考えていたのでしょうか。

いま思えば、この頃から息子のエネルギーは少しずつすり減りはじめていたのです。

おとなしくて、慎重だった息子にとって、家の中は「心から安心して過ごせる場所」であるべきだったのに、私のコントロ−ルが強まるにつれて、そうではなくなっていきました。

そのことが息子を苦しめるようになり、私がやると決めたことに対して、だるそうにして拒否したり、嘘をついてやらなかったり、集中力がなくなっていったり、機嫌の悪いことが増えたり。
たくさんのSOSを発していたのでしょう。

この頃は「教育虐待」という言葉はありませんでしたが、私のやっていたことはまさに「教育虐待」そのものだったのだと思います。
層とは知らず、毒親のコントロール育児は、このあともさらに加速していくのです。

ハチコ

「育て直し」によって、今現在の息子は「もっと謙虚になった方が…」と心配になるほどの自己肯定感を持つようになっていますよ!

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